こんにちは。ひろASD@ひろです!
※この記事は、私が感じた人とちがうポイントを深堀りするコーナーです。
「発達障害」という目に見えないものだからこそ、私が見ているものをお伝えすることで障害へのイメージがつきやすくなればいいなと思って書いてみました。
また、発達障害は千差万別。
一例でも多く実態を言葉にして伝えることで障害が障害たる所以を知っていただけたらと思います。
似たような特性をお持ちの方には「あっ、似たようなやつおった!」と思っていただけたら幸いです。
この記事を書いている私は、発達障害歴約30年ほど。
「人とちがう…」そう感じたのは3歳までさかのぼります。
では、いきましょう!
Vol.1:記憶力
みなさんに質問です!
いつからの記憶がありますか?
私の一番古い記憶は私が生まれた頃入院していた祖父のベットの上にいた時。
当時祖父は膵臓がんを患っていましたので、両親は幼い私と祖父を病院で会わせていました。
ベットの上で祖父と寝たことや、病室のこの位置に点滴用の超太い注射器があっただとかそんなことを覚えています。
当時病院の共有スペースにはテレビがあり、よくそこで祖父とゴジラを見ました。
ゴジラの内容は分かるはずもありませんが、祖父と過ごす病院は私にとってテーマパークのようなものだったのです。
さらにその昔、ミルクをもらった記憶などもありますが、そのあたりは具体的に覚えているわけではないのでこのあたりが大体記憶が定着し始めた頃かなと思っています。
この記憶力、ということに関して人とちがうことに気づき始めたのは中学生になった頃。
両親と話が噛み合わないのです笑
両親が話してることが明らかに私の記憶と違うので「違うよ、それはこうだったよ」と話しても両親は「そうだっけ?そんなことはない!」の一点張り。
いや絶対合ってるし
私の頭の中では当時の会話まで鮮明に繰り広げられているので、個人的にはこのような感覚でした。
そして更に、過去の思い出話になった時。
「あの時あの温泉いったね」「あの時どうだっけ?」というような話に「あの時はこうだよ、これがこれでこう言ってた」と伝えるとたいていその場が「よく覚えてるなぁ」という展開になります。
こういったことが続き、人は過去を正しく記憶しているわけではないこと・場合によっては書き換えて記憶すること・そして私が覚えていることをみんなは覚えていないようだ、という確信に至ったのです。
それ以降、この事象は学校でも社会に出ても続きます。
私は別に覚えようと記憶しているわけではありません。
ただ、誰といつどこで、どんな会話をしていたか、これらをまるで動画のように。
教科書などの本に関しては、ほぼ画像のように。
そうやって記憶が積み重なっていっています。
こうした記憶力を持っていて良かったことは、自分が動画の記憶を得意とすることが分かっているので、勉強する時には教科書だけでなく動画を取り入れたり音声を使うことでより記憶を定着させるようにしていることでしょうか。
一度入れてしまうとあまり色褪せることはないので、そのあたりは役に立っていると思います。
他は特に役に立ったことはないですが、社会に出てからは私がよく覚えているのを知った先輩から「人間ボイスレコーダー」という何とも微妙なあだ名をつけられたこともありました。
さて、ここまでだと記憶力がいいというのはとても良いことのように思われるかもしれません。
確かに、勉強において・誰かと話すときにおいて記憶はとても役に立ちます。
私は普通の人がどの程度何を記憶し、何を忘れていくのかを分かりませんが、もしかしたらとても良い恩恵を受けているのかもしれません。
ですが実際は、そんなに良いのでもありません。その理由をご説明します。
私がこの記憶力に困る理由
この2つが理由です
- 過去について話す時、記憶が噛み合わない。共有がかなわない。
- 忘れたい記憶を忘れることが出来ない。フラッシュバックとタイムスリップ。
過去について話す時、記憶が噛み合わない。共有がかなわない。
記憶がずれた時、例えばそれは記憶ちがいだ!と思う時でも、その「絶対」を示すものは私の記憶しかないので、大抵合わせることになります。
そして記憶が噛み合わないこと、共有が叶わないことは存外悲しい気持ちになるものです。
かつて、どんなに楽しかったことでも「そんなことあったっけ?」と言われた時に、自分だけが覚えていている記憶に何の意味があるのだろう。夢と大差ないのではないか、と思ったことがあります。
今は「まあ仕方ないな笑」程度なので何かを思うことはありませんが、当時はその虚しさに結構悩むこともありました。
あとは自分の頭の中でだけ、少しもやもやします笑
誰も覚えとらんやん!
だから、この時こうだったよねといって「そうだったね!」と言ってくれるとすごく嬉しくなります。
嬉しすぎて実は内心、テンションバク上がりしてます笑
忘れたい記憶を忘れることが出来ない。フラッシュバックとタイムスリップ。
これが一番つらいです。
私が過去の出来事を思い出すとき、歴史の年表のようなものが頭の中に広がり、一つ項目を抜き取れば付随する会話、景色が頭の中で再生されます。
感覚的にはレンタルビデオショップで目当てのDVDを探して、再生する。そんなイメージが近いかもしれません。
その時の情景は今の現実ではないのに、まるで入り込んだかのようにリアルな感覚を伴って再生されています。
そして発達障害の私の場合、圧倒的に悪い記憶が定着しやすい傾向にあります。
一説によると、発達障害の中にはそういった悪い出来事を記憶しやすい人たちがいるそうです。
それらが、誰かとの会話や似たような出来事をきっかけに過去の情動を伴なって呼び起こされます。
頭の中では、「今ここにいる自分」と過去の自分や相手は関係ないと理解しているのに、頭の中の年表から類似した出来事が次々と現れてきます。あの時も、この時も、これもそうだったというように。
これをフラッシュバックと呼んだり、対発達障害に関してはタイムスリップと称されています。
自分では歯止めが利かない思考が感情を伴なって暴走するこの現象は、とても苦しいです。
過去の出来事に支配され、大抵の場合一通り泣かなければ現状収まることをしりません。
これもずっとみんなそうなのかと思ってましたが、最近になって違うと知りました笑
きっかけは過去の出来事をすべて書き出した時、自分が嫌だと感じたことをあまりにも鮮明に覚えていることが気になったことです。楽しい、と思っていることよりも圧倒的に嫌な記憶の方が多い。
そんなことある?
楽しいことも沢山あったのに、なぜこんなに嫌だったことを鮮明に覚えているのか。
思い出しただけでは、「こんなことあったな」くらいのもので消化しているはずなのに、なぜきっかけがあった瞬間にあんなにも強い情動を招くのか。
そうした疑問が、心理士さんとの会話の中で私特有のものであることがわかりました。
フラッシュバックやタイムスリップと発達障害の特性について調べてみると、出てくる情報情報が驚きの連続。
いや、私やん
人生何度目かのこれでした笑
自分の知らない、普通とちがうポイントがまだまだ沢山隠れていてちょっと面白くなってきます笑
フラッシュバック、タイムトリップへの対処法
例えば、フラッシュバックしてる時に自分の身体に触れて思考の中ではなく、今の自分の感覚を取り戻す。
それを繰り返すうちに、現実に戻ってこれる状態になることが、自分の中でフラッシュバックする出来事を俯瞰し「ああ、まあ思い出しても大丈夫」と言える距離感を身に着ける足掛かりとなる。
そんな方法があるとは一度も思ったことがなかったので、今実践して実験しています笑
もしフラッシュバックやタイムトリップに苦しむ方がいらっしゃったら、是非同じようにしてみてください。
これらを理由に人と関わることを避けてしまい、自閉状態になってしまう方もいらっしゃるようなのでしんどいですよね。
確かに私も、過去あった出来事はいつかまた来るのではないかと常に思いながら他人と接してしまっているのも事実です。
けれど、そんなこと考えて関わりたいわけじゃない。今の自分が望む状態はそうじゃないとずっと戦ってきました。
自分が誰かを許せていないからそうなのかと思っていましたが、自分の特性によるものならもう少し対処もできると今は考えているので、思考の中だけにとらわれてしまわないようにしていきたいと思います。
せっかくの記憶力、何に活かそう…笑
いかがだったでしょうか?
ちょっと変わった記憶力ーみなさんの感じる世界とどう同じで、どう違ったでしょうか?
私が見てきた世界が、あなたの参考になれば幸いです!