
こんにちは。ひろASD@ひろです!
※この記事は、私が感じた人とちがうポイントを深堀りするコーナーです。
「発達障害」という目に見えないものだからこそ、私が見ているものをお伝えすることで障害へのイメージがつきやすくなればいいなと思って書いてみました。
また、発達障害は千差万別。
一例でも多く実態を言葉にして伝えることで障害が障害たる所以を知っていただけたらと思います。



似たような特性をお持ちの方には「あっ、似たようなやつおった!」と思っていただけたら幸いです。
この記事を書いている私は、発達障害歴約30年ほど。
「人とちがう…」そう感じたのは3歳までさかのぼります。
では、いきましょう!
Vol.2:リトルひろ



突然ですが、私の中には沢山の「リトルひろ」が住んでいます笑
これを聞いて、「それめっちゃわかるわ」という人はそう多くはないでしょう。
「リトルひろ」…それは、私の中に存在する無数の私。
私の中で広がる膨大な思考回路を一分の狂いもなくまるでパズルのように組み立て、せわしなく動く彼らのことを私はそう名付けました。
リトルひろのお仕事
リトルひろたちの普段の様子は、とても優秀です笑



例えばみなさんが何かを考える時、何かに答える時ってどんな感じなんでしょう?
頭に浮かんだことを即座に答える?自分のしたいことを中心に答える?どんな感じなんでしょうか。
私が何かを考える時、それは「その場での最適解を常に生み出し続けること」に等しいです。
最近では、「自分の望むこと」に焦点がいくように調整中なのですが、ずっと私が続けてきた「周りに合わせること」をそう簡単にやめられるわけもなく、またそれが必要な場面もありますよね。
だからこそ、無意識下であれば通常私の思考は上記のように「普通の人が選ぶであろう選択・その場で話をしているその普通の人が望んでいるであろう回答・社会的に考えてこれがベストだという方法」を選ぶようになっています。
理由は簡単、私の中に一番に出てくる答えは、「普通」ではないと自覚しているからです。
発達障害の私は小さな頃からずっと、周りに合わせることで普通の人に紛れ込んできました。
それはさておき、そんな時に働くのがリトルひろたち。
誰かと話をしている時、このリトルひろたちが会話の予測をして色んなパターンを私に示してくれます。
「次はこれ話して!」
「相手がこんな顔してる!こんな風だからこっちの回答はまずい!」
「この人はこんな人だから、ちょっときつめの言い方でもいける!」
「この人だとまずは共感から!」
こんな風にリトルたちがものすごい速さでレールを敷いてくれるんです笑
例えばそれが質問であったなら、頭の中に瞬時に何パターンもの回答とそれに対する会話の筋道、またそれの参考となる自分の経験・相手の経験・会社…色んな事が頭に浮かび一番適切なものを選び取る。
それがどんなに適当な話であったとしてもリトルたちは瞬時に会話の流れをよみ、組み立て私に答えをくれます。
変に会話の間があくこともなく、違和感を感じさせることもなく、まさにそれは瞬時の出来事。
大勢のリトルが目まぐるしく脳内で活動してくれるおかげで私はいつもその場の最適解を選び続けることが出来る。
だから幸いにも周りに怪しまれることなく「ひろさんてすごいね!」そう言われるだけですむ。
このように周りからみて会話に違和感なく思えても、私は私の脳がそこにどれだけ力を使っているかを知っています。
これは自分のことを考える時も同じです。



これだったらどうかな?
そう問いかけた時、様々なリトルが返事をしてくれます。
「それだとこうなってこうなってこうなるから、こうしたら?」
「いやいや、こうだって…」
こんな風に一つの出来事に対して、何通りもの意見を出し熟考します。
お互いに意見を出して、否定して、ギャーギャー言いながら、何十、何百通りのパターンをリトルたちが考えます。
将棋や囲碁の棋士が何パターンもの未来を予測するのに近しいかもしれません。
そしてそれは、今からすることだけに関わらず、自分がしたことについても精査されます。
「この時の私はAという選択肢をとったけれど、それは本当に正しかったのか?」
「いやAで間違いないよ!」
「いやいや、でもこうだから…」
そうして要修正と判断されたことは、修正を加えていくのです。
それが誰かとの会話であれば、「あの時のことだけどさ…」といったように。
こんなことがほぼ24時間続きます笑
何かに打ち込んでいる時などは寝てるときでさえ、リトルが働いてるのがわかります。
なんせ夢の中でも普通にリトルの声が聞こえてくるのですから笑
このリトルたちのおかげで私は自他共に認めるマルチスキルを発揮することが出来ます。
仕事中話しながら何かをしていてもミスすることもないし、会話しながら脳内では作業効率をはかることをむしろ楽しんでいます笑
高校の時は、宿題を早く終わらせたくて国語の問題解きながら、脳内ではチラ見しておいた数式を解くなんてことを平気でしていました。
あとでそれを脳内からひっぱり出してきて書き写すだけなので、時短になりとても良かったです笑
こうして一つの出来事に対して、まるで何十人かで会議をしているかのような力を発揮するリトルたち。
ただ、これによる弊害がなかったわけではありません。
リトルたちが深い思考を繰り広げてくれる分、誰かに何かを言われたとき「それはもう考えたんだよな」ということがよくありました。



例えば自分の中でもうだめだ、と答えが出ていることに対して「それやってみます!」となる人っているんでしょうか?
私にとってはその程度のことなのに、相手からすると「やろうとしてない」という印象になるようです。
彼らは、私の脳内活動をサポートしてくれていると同時に、休むことを知らない子たちです。
ずっと考え続けて出た答えであることを、誰も知らない。



やろうとしてないって鬼のように考えとるわ!
頭の中から文字出るんちゃうかってくらいな!
と当時は思ってました笑
それでも周りの人には伝わらないのがこのリトルひろたちの悲しいところ。
バランスは今でも非常に取りにくいのですが、「とりあえずやってみる」ことで少し違った世界もみえると今は思っているのでこの意識は昔より随分ましになったと思っています。
だからこそたまにはゆっくりしてくれて良いのですが、私の頭の中はこれが通常モード。
いつもは時に神経を使うこともなくリトルの働きに任せています。
リトルひろの暴走
そんなリトルひろたちの力が厄介になる時、それは私自身のバランスが崩れ暴走した時です。
例えば、何かにストレスを感じたり、私が自分でも気づかないうちに自分を追い込んでいた時。
楽しいと思って始めたことでも、それが段々と食事や睡眠をとらないといった自己犠牲の上に成り立ち始めた時。
ある時突然、リトルの暴走がはじまります。
文字が頭の中に溢れ、思考という生ぬるい言葉では表現出来ないほどの苦痛。
頼むからもうやめてほしいとどんなに願っても、文字が飛び出てくるんじゃないかと思うほど頭が痛くても、一向に収まることのないリトルの暴走。
そんな時、強く響く言葉は、リトルからの「もういいじゃん、全部投げだしても」の言葉。
※余談ですが、私はこの手のリトルを読んで字の如く「投身リトル」と呼んでいます笑



リトルって名前に似合わず、随分可愛くないこと考えるリトルやね笑
それに対し「これは違う、そんなこと望んでない」そう叫ぶ別のリトルの全力の抵抗。
よくよく考えれば、脳内パニックの発作みたいなものかもしれません。
0か100かの思考が強い私には、この発作が起きた時余計にそういった思考に走りやすい。
リトルたちの厄介なところは、私が自分で思考を打ち切れないことにあります。
疲れたから今日は何も考えずに過ごそう。温泉でゆっくりしよう。
私はそういったことがとても苦手です。
どんなに温泉につかっていても、私の思考は常に動き続けています。
だからこそ、本当に辛い時発作として現れてしまうのかもしれません。
また、思考がリトルたちによって働きすぎる分、どれが本当に自分の意見なのか気付いたら分からなくなっていました。
頭の中に浮かぶ膨大な選択肢を前に、忖度だけで最適解を選び続ける自分。
いざ本当に自分のことを尋ねると、自分がどこかに消えて見えなくなっていた。
自分の好きなものでさえ分からなくなっていたのです。
これも少しずつ解消されてきてはいるのですが、暴走すると相変わらず打つ手なしの状態です。
自分が存在していいのかも分からなくなるため、現状リトルたちを暴走させないことが一番の対応策。
最近では自分自身に気を配るよう意識しています^_^
美味しいと感じるお茶を飲んだり、大好きな人とお話してもらったり、友達と遊んだり。
そんな大切な時間をリトルの方ではなく、今目の前の現実に集中することでリトルの暴走を防いでいます。
それでも上手くいかない時もありますが、何十年も続けてきたことがそう簡単に変わるわけではないので、少しずつ少しずつ変わっていけばいいと思っています。



リトルたちはせっかく優秀なんですから、私が上手く使ってあげないと勿体ないですよね笑
リトルたちに舵取りさせちゃいけない。
リトルは、あくまでも私のリトル。
自分のリーダーになるのは、自分だけだと今は思っています。
いかがだったでしょうか?
リトルによる思考ーみなさんの感じる世界とどう同じで、どう違ったでしょうか?
私が見てきた世界が、あなたの参考になれば幸いです!