こんにちは。ひろASD@ひろです!
本記事の内容
- 何も「ない」と感じる理由【体験談】
- 何も「ない」と感じる状態から抜け出す方法
- 視点をずらすと訪れる変化
この記事を書いている私は、発達障害歴約30年ほど。
私は、不幸になるしかないと本気で思って生きてきました。
その分視点をずらす時が出来た時は、まるで生まれ変わったような気分でした。
発達障害の方もそうでない人も、漠然とした大きな不安に苦しんでる方の参考になれば幸いです。
では、いきましょう!
何も「ない」と感じる理由【体験談】
何もないと感じる理由、
それは「あなた自身が何もないと思っているから」です。
言い換えると、自分が何もないと思っているから、そういう風にしか見えなくなっているということです。
意外と言えば意外、当たり前と言えば当たり前なことかもしれませんが、私としては意外と盲点ではないかと思っています。
大前提として、人というのは見たいものしか見えない生き物です。
例えばみなさん、こんな経験はありませんか?
何だか今日は嫌なことばっかり起こるなぁ
これは、「嫌なこと」ばかりに目がいってるので自然とその情報ばかりが目に入ってしまっているのです。
では、その日一日は本当に嫌なことばかりだったのでしょうか?
嫌なことに目がいっている日に、良いことって中々カウントしていなかったりしませんか?
これが、人が見たいものしか見えない生き物だと私が思う理由です。
ちょっと抽象的なので、他の例もあげてみます。
私は日頃接客業をして、様々な方から弊社のサービスに関する質問を受け付けています。
例えば、アプリの使い方や申込み用紙の記入方などを窓口で聞いています。
でもですね、窓口の入り口前にでかでかと説明をのっけていたりするんです笑
それも、係員が分かりやすいようにPOPを作り、人間工学的に人の目を引くデザインを練り、そうしていても人は真っ先に窓口へと入ってくる。
多分この時の人の心理って、「何だかこのあたりわからないな」「窓口で聞いてみるか」この流れなんだと思います。
この間に「聞くまでにどこかに答え貼ってないかな、説明ないかな」ていう思考回路はないんですよね。
もう窓口で聞くと決まっているので、どれだけ有益な情報が用意してあったとしても窓口へと進む。
どうですか?
人って、「見たいもの」とか「自分が決めたこと」に実にまっすぐな生き物でしょう?
自分自身に関しても同じことが言えます。
自分が何もないと思っているから、何もない自分しか見えていないのです。
これは、自己肯定感が低いと特によく陥りがちなんじゃないかと思っています。
私はそうでした。
「私は不幸になるしかない」と本気で思ってきたので、「私が何もない理由」を必死に探してきたんです。
何もない理由を「発達障害の苦しさやいじめられてきたことや、それに対しての絶望」というところに見出し、ずーっとその暗闇で体育座りして座っていました。
その状態で誰かに助けを求めては失敗や挫折をし、更に他人から嫌な顔をされて傷ついてしまう、といった日々でした。
これを認めて自分を知るには大分時間がかかりました笑
言ってみれば、今の状況は全部自分が選んだものなのだと自分で認めるようなもの。
最初はそんな考えになるわけもなく、どうしたらいいか分からず、それでも何とかしたいと心の中で思っていたんです。
障害であることは私にとって「生涯普通にはなれない。だから自分は誰にとっても虐げられる存在であるしかない」という絶望そのものだったからです。
まさに思考が一直線というか、本当にそれしかない状態を見事に自分で創り出していました笑
そうは言っても、これしか選べない状態なんだから仕方ないじゃないか。
例えば障害であることは一生変わらないし、しんどいのも変わらんのよ。という意見もあるかと思います。
仰るとおりで私もずっとそう思ってきたし、環境がつらい状況を加速させていることもあるはずです。
私は過去カウンセリングに通った時、よくこう思っていました。
何でこちら側(発達障害)ばかりが、こんなに普通の人になろうと努力せなあかんの?普通の人は全く知ろうともしてくれないのに。
ただ、過去の自分に言いたいことでもあるのですが、そこにいて楽しいですか?ということです。
繰り返しになりますが、人は見たいものしか見えないし、選びたいものを選べるんです。
それは、「何を考えるのか」を「選べる」ということでもあります。
シンプルにしんどい気持ちをわざわざ選ぶより、楽しい気持ちを選んだほうがいいんじゃないかなと思います。
だってほら、楽しい気持ちが多いほうがハッピーでしょう^_^
これは何も、無理矢理こう考えないといけないという話ではありません。
私も正直、過去の自分にこれを伝えて伝わるんだろうか?と思います。
あの時の自分が悩んでいたこと、ギリギリのラインで歯を食いしばりながら生きていたことが決して無駄になることはないしきっと今だから解ることもあると思っています。
それでも、悲しい気持ちを選択する時間は少しでも少ないほうがいい。
誰のためでもなく、自分自身のためです。
だから、この内容に興味を持たれた方には是非意識してもらいたいポイントです。
人は好きな視点を選ぶことが出来ます!
辛くて仕方ない方は、まずこちらの記事を読んでみてくださいね。そんな時の解決策を載せています!
何も「ない」と感じる状態から抜け出す方法
何も「ない」から「ある」ものへと「視点をずらす」こと!
そのために私が試したのは以下のことです。
- 物事の二面性「ない」と「ある」を考える
- 「ある」ものをひたすら毎日書きだしてみる
- 何より自分が「ない」と感じやすいことを自覚する
※何も「ない」から「ある」ものへと視点をずらすこと=「出来ない」「自分は不幸になるしかない」などの「今自分に備わっていないもの」から自分が今「手に入れているもの」へと視点をずらしていく
物事の二面性「ない」と「ある」を考える
物事には何でも二面性が存在します。
気分の落ち込んだ時をイメージしてみてください。
自己嫌悪に陥ったり自分の周りの環境を呪ったり、といったように自分に今備わっていないものや周りの環境にないものに焦点がいっている時が多いですよね。
そんな時こそ、視点をずらすチャンスです。
例えば、ミスをして落ち込んだとします。
ここには、「ミスをしてしまい、自分には何も出来ないと落ち込む自分」と「ミスをして新しい知識を得た自分」が存在します。
そうしたらミスをして新しい知識を得た自分のほうが一つ成長出来たように感じますよね、だからこちらを選びます。
私の場合、「幸せになれない自分」を選んでいたのでその反対の「幸せである自分」を選ぶようになりました。
例えば、自分の好きなものを周りに置いたり、自分の幸せとは何かを考えたりといったように。
発達障害の方は特に、一度一つの思考にはまると抜け出すのは至難の技ですよね。
意識して思考止めるなどとてもじゃないですが出来たものではありません。
なので、よく言われる「視点を変える」や「考えないようにする」というのはしっくりこなかったのですが、頭の中で「視点をずらす」ということなら出来るのではないかと思ったわけです。
考えることが止まらないなら、自分にとって良いように考えよう、ということです。
あれ、それって自己中心的になってない?と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
それでいいんです笑
人は思ってるより、自分を幸せにすることしか考えていない生き物です。
苦渋を飲み、自分に厳しく当たり続ける必要はないと思います。
ただ一つ気をつけることがあるとしたら、そこに他人を巻き込まないということ。
自分のことはどんな時だって甘やかして、自分が幸せである考えを選択したら良いのですが、それと同じように他人の考えも尊重することが大切です。
だから例えば、ミスをして私は悪くない!ではなくその事実に対しての非は素直に認め、その後自分が手に入れたものを考えるといいのかなと思います。
単なる事実に焦点を当てて落ち込み続ける必要はないですからね^_^
そのミスに障害特性が絡んでいるのであれば、打ち明けて楽になっちゃいましょう。意外と何とかなったりします。
「ある」ものをひたすら毎日書きだしてみる
まず、朝起きてからノートに自分が感謝出来るものを1日10個書き出します。
これは何でもいいし、いつでも出来ます。
最初の頃は、何書こうと思って悩むかも知れません。
ただ、昨日のご飯がおいしかった、とか今日も生きてた、とか道のお花が綺麗だった、とか。
些細なことで構いません^_^
自分の好きなものや自分自身への感謝など、どんなことでもいいです。
夜書いてみてもいいし、10個というのに決まりがあるわけじゃないです。
大事なことは、ないものに目がいきがちなので、これを書き出すことで自分が実は色々持っていることに視点をずらす練習をしていくということです。
私はこれを毎日書き出すようになってから、呼吸することも自分がご飯を食べていることも当たり前にそばにあるけど、実は当たり前のことじゃないなって思うようになりました。
人は自分が当たり前に出来ることに中々気づかないので幸せのハードルをとかくあげがちになるものですが、あるものに気づく練習をすると何かあった時も視点をずらしやすくなりますよ^_^
何より自分が「ない」と感じやすいことを自覚する
これはとても大切です。
先述した通り、自分が陥っている思考のループというのは中々気づくことは出来ません。
これは定型発達の方でも、思い込んでいる時は難しいと思います。
発達障害だと尚更、そこにぐぐっと集中しループに入る分ただもがくだけになる方が多いように思います。
なので、自分は「ないもの」に目が向きやすいんだとまず認識しましょう。
そうすることで、自分の思考に待った!!をかけるイメージです。
「自分は不幸だ」「自分には出来ない」
「やっぱりこうなってしまった」
待った!!!出来ないことばかりに目がいってない?
このように、「そうだった、私はこう考えやすかったんだ」と別の思考を挟んでやるのです。
本当にどん底に行ってしまうと中々難しいのですが、ちょっとした落ち込みや、不幸のどん底という海底から海面に浮上しかけた時などにこの考えを差し込むことで自分自身を後押ししてくれます。
後は、親しい人に「自分はこう考えやすい」ということをあらかじめ伝えておくのもありです。
そうすると周りの方もあなたの極度の落ち込みを理解しやすいですからね^_^
自分を振り返ってないものに目がいってるなーと思う方は、まずはその自分を自覚してあげましょう!
視点をずらすと訪れる変化
こんな自分が手に入ります!
「自分に備わっているもの」や「自分が素敵だと感じるもの」が目に入ってくるようになり、ハッピーになる!
冒頭お伝えしたように、人は自分が目を向けているものしか入ってこない生き物です。
だからこそ、「あるもの」へと視点をずらすとどんどんそういったものが目に入ってくるようになり「快」の感覚が身につくようになります。
ミスをしてしまった日でも、でもこんな良いこともあった♡と思えるようになるわけです。
一つ注意点ですが、この感覚が身につくようになるまでには少々時間がかかります。
私の場合、一年ほどかかりました。
それは私の自己肯定感がどん底まで落ちていたことに要因があるので、ちょっとネガティブだなと感じるくらいの方ならもっと早く、逆にもっと落ち込んだりつらい想いをされている方ならもっと長期的に、と必要な時間はそれぞれです。
それでも、「ない」とばかり落ち込んでいた思考が少しずつ「ある」ことも考えられるようになってきた時、生きづらさが少しずつ解消し、感謝出来ることも多くなりました。
自分を不幸にしたい自分はいないと思います。それに、快の感情を選べるようになって初めて気づきました。
誰だって、快の感情を選びたいはず。
勿論「ない」と感じるものが悪いわけではありません。
ただ、自分に備わっていないものやミスをしてしまったという単なる事象にだけ目をむけ続けているより、「ある」ものを自分で選んだほうが100倍くらい楽しいです。
今つらい方には、この気持ちを味わうチャンスがやってきています。
元「不幸になるしかない」という悲劇のヒロイン思考の私だったから、この思考の変化を味わえたし誰かにこうして発信出来るんだと思うと楽しいんです^_^
だから、トレーニングをゆるく続けこの感覚を是非味わってみてくださいね^_^
いかがだったでしょうか?
視点をずらすことについてのお話でした!
私が見ていた世界が、あなたの参考になれば幸いです!