こんにちは。ひろASD@ひろです!
本記事の内容
- 保育園・幼稚園どうだった?当事者が語ります!
- 問題なく通えるの?大変だったこと3つ!
- 理想の園&問題行動が起きた時の対策について
この記事を書いている私は、発達障害歴約30年ほど。
一番古い記憶は2歳の頃から持ってますので、自分がどれだけ周囲と違ったかも明確に覚えています。
ここでは具体的に当事者の私がどう感じながら保育園や幼稚園に通っていたのかをお伝えします。
勿論、発達障害は人によって千差万別。
当てはまらないことも多いと思います。
けれど、一つの例として参考になれば幸いです。
では、いきましょう!
保育園・幼稚園どうだった?当事者が語ります!
みなさん、保育園や幼稚園どうでしたか?
楽しかったですか?
私が保育園と幼稚園に通ったのは、4歳と5歳のそれぞれ一年間。
結論から言うと、保育園・幼稚園は私、大っ嫌いでした!笑
なぜ嫌いだと感じたのか、理由は以下の通りです。
- 圧倒的に情報量が増えた
- 周りに合わせる=カモフラージュの必要性
- 身体と頭の疲れ
- 新しい環境でのプチパニック
- 自分のしたいように動けないストレス
具体的に、保育園・幼稚園での私を例に出しながら説明します。
具体例【保育園・幼稚園での私】
- 登園時ずっと泣く
- 歩くのが大嫌い
- 一人遊びが好き
- ガヤガヤした声が大嫌い
- 「お昼寝」の時間に薄目を開けて、毛布をかける先生を観察
- 「おともだち」という謎のいきものに人生で初めて出会い困惑
- トランポリンだけは大好き
登園時ずっと泣く
保育園・幼稚園共に登園時、私はずっと泣き続けていました。
保育園までの10分間、幼稚園に上がってからは約45分間、2年間ずっとです。
保育園は徒歩で行ったり、母が車で送ってくれたりしていたのですが、幼稚園からは約3キロの道のりを小学校の先輩達と一緒に歩いていました。
その間本当にずっと涙が止まらなかったんです。
理由は簡単。全てが嫌だったからです笑
落ち着けない環境に身を置くこと・家族と離れること・歩くこと。
外に出て沢山の人の中で多すぎる情報にまみれる。
そんな場所に「向かう」という行為がとても嫌でした。
嫌なとこに行くと分かってて、楽しい気分になる人いる?
私からするとこんな感じです。
母が困っていたのも、父に思い切り怒られたのも、小学生の先輩達がよく思わないのも「私が泣いているせいだ」と分かっていました。
だから、幼稚園に上がってからは毎朝「泣いちゃダメだ」と思っていました。
それでも家を出るために靴を履いていると出てくる涙は、私には止めようもありませんでした。
そうしてこの2年間私は泣き続けることになったのです。
今思うと、発達障害の特性故に周りの環境変化についていけずパニックになっていたのかもしれません。
それでも、当時まだ発達障害というものも有名ではなかったのもあり、私のそれが特性によるものだと気づく人もいなかったので周りは苦労していたと思います。
歩くのが大嫌い
歩くことが本当に大嫌いでした笑
もっと小さな頃からそうでしたが、この頃がもっとも顕著だった気がします。
どのくらいかと言うと保育園の帰り、いつもは車で迎えに来る母が歩きで迎えに来た時は帰り道も大泣きだったくらいです。
逆に幼稚園の帰り道、祖父や親戚が車で迎えに来てくれた時はとても嬉しかったのでルンルンでした笑
うちはとても田舎で、園の外に出て散歩せずとも広い運動場もプールもあったのですが、その運動場で駆け回って遊ぶのでさえ苦痛なレベルでした。
なので出来るだけ外にいかないようにしてました笑
そういう時ほど、先生に見つかって「ひろちゃん、こっちに来てあそぼう^_^」と言われてしまうのですが…
ちっ…ばれたぜ
これも今思えば、異様なくらい疲れていたんだろうと思いますし、それもあって登園時も余計嫌だったんじゃないかと推測しています。
一人遊びが好き
私はお友達と遊ぶよりも、一人で遊んでいる方が圧倒的に好きでした。
運動場の砂を触ったり、体育館の冷たい木の床に触れたり、絵を描くために紙を触ったり、園にある花を見たり。
先述したように、それは大体先生と友達によって阻止されることになるのですが、可能な限り一人でいました。
周りの喧騒から一歩引いて、人を見つめながら「自分と人はちがう」この感情の根底を探そうとしていたと思います。
4歳の子どもの無謀な挑戦…
ガヤガヤした声が大嫌い
子ども特有のキンキンした声が私はとても嫌いでした。
思い返してみても、遊びながら「キャー!!」と叫ぶようなことを自身がした記憶がありません。
声をあげて走り回ったり、はしゃいだり、そんな声が脳内に直接響いてくるのはとてもしんどかったです。
反対にピアノなど倍音の整った音は大好きでした。
耳障りもとてもよく、みんなで歌を歌う時は「人の声は邪魔だな…」とよく思っていました笑
「お昼寝」の時間に薄目を開けて、毛布をかける先生を観察
あのお昼寝の時間とやら、私はまーーーーったく眠れませんでした!!
あんな大勢の人がいて先生たちの気配が伝わるような場所で、静かに寝れるなんてこと私にはあり得ませんでした。
でも、みんな寝ているということは寝てるのが正解なんだろう。
というわけで私が選んだ選択は、「寝たふり」だったんです笑
でもただ寝たふりをしていても面白くないので、寝たふりをして先生たちが何をしているのかを観察していました。
先生たちは毛布を直したりしながら、園児の様子を観察しているようでした。
忙しそうだな、と毎回思っていましたよ笑
「おともだち」という謎のいきものに人生で初めて出会い困惑
入園するとそれまで家で家族とともに過ごしていたのにも関わらず、「おともだち」という謎のいきものにいきなり出会うことになります。
これは当時の私にとっては、大きな衝撃でした。
よく分からないおともだちとやらと、「一緒に遊ぶ」というイベントが発生し、何やら仲良くしなければならないらしい。
けれど、そこで出会った子たちは圧倒的に自分と何かがちがう。
これまで大人としか比べたことがなかったけれど、人生で初めて同年代というものを知り、自分が彼らの楽しそうにしているものにまるで興味を示さないのを肌で実感しました。
誰も、そんなおともだちとなぜ仲良くしなければいけないのかは教えてくれなかった。それが社会での「当たり前」だった。
おともだちと遊ぶよりも、家にいて当時観察していた金魚を眺めているほうがずっと楽しかったし、家で好きなおもちゃをひたすら触っているほうが熱中も出来たのに。
だから、園では常に観察&実行のトライアンドエラーでした。
その場に馴染むように、ひたすらそれだけを考えて行動していた自分がそこにはいました。
ほころびはでていたはずなのですが、まだ自我が少ないうちですから逆に何故か人気者になっていました笑
単に大人しくついてくる私を、みんな子分のように思っていたのかもしれませんが笑
トランポリンだけは大好き
遊具は基本的にどれもあまり好きではなかったのですが、一つだけ大好きなものがありました。
それが、園においてある巨大なトランポリンです。
保育園児が束になって飛び跳ねても、身体を宙に舞いあげるトランポリンは私からすると不思議で仕方なかったです。
身体が舞う浮遊感と景色が上下で揺れ動く感覚が楽しくて、ずっと飛び跳ねていました。
自分だけの力じゃなくて、友達がはねた衝撃がトランポリンを伝って自分の身体を持ち上げる。
この感覚が大好きすぎて、何とか空を飛べないかと本気で思っていたくらいです。
そして、何よりトランポリンをつなげるあの巨大なバネ!!!
これでこんな力を生み出すのかと思うとワクワクがとまりませんでした。
本当はあそこに指を挟んで触ってみたかったのですが、さすがに指が大変なことになりそうだったので何とか衝動をこらえていました。
随分懸命な判断だな、えらいぞ。過去の私笑
以上のようなことを踏まえ、私は保育園と幼稚園が嫌いでした。
トランポリンは大好きだけど、園の中のスケジュールで動かないといけない。
ずっとそれだけしていたいのに、先生がおわりといえば終わり。
ともだちが別のところで遊ぼうといえば、それで終わり。
一人で何かしていたほうがずっと楽しいのにそれが許されない。
おまけにとても疲れるし、とてもうるさい。
ずっとそんな風に感じていた2年間でした。
問題なく通えるの?大変だったこと3つ!
当時特に大変だったこと、まとめました!
- 自分の意識が届かないところで「カモフラージュ」ができなかったこと
- 嫌なことがあると感情制御がうまくいかなかったこと
- 圧倒的に楽しくなかったこと
結論から言うと、何の支援がなくとも通えるのは通えました。
大人になった今では、まあ許容範囲か…と思わなくもありません。
ただあのままで良かった、何も問題がなかったかといえば、前項でお話したとおり私個人としては問題しかなかった、という印象です。
具体的に説明します!
自分の意識が届かないところで「カモフラージュ」ができなかったこと
今は、自分がどう他の人とちがうのか、大体分かることはできます。
けれど当時はなんと言ってもまだ幼いので笑
「自分は人とちがう」という感覚に動かされていても、周りの子を観察してどうにかならないような場面…例えば粘土を渡されて「好きなものを作っていい」と言われた時のように無から有を生み出さなければならない時は本当に困りました。
まるで何も浮かんで来ず、真っ白な頭とどうしようという焦りだけが自分を支配していたのを覚えています。
がんばって、それでも何とか浮かないように考えた末、作ったのは音符でした笑
ピンクと水色で作った音符を見た先生が「ひろちゃんは音符が好きなの?」と聞いてきたので必死にそうだと答えたのです。
大人になった今なら、好きなものと言われてるんだから正解はないとわかりますが、当時の私は幼いながらも「合わせること」に必死だったのでこれは死活問題でした。
嫌なことがあると感情制御がうまくいかなかったこと
登園時、泣いて通ったことが一番大きな例です。
自分自身なんとかしないとと思っている反面、全く感情が言うことを聞かないことがとてもしんどかったです。
先述したとおり、私自身も両親も苦労したと思います。
私に関して言えば、小学校の先輩たちが両親に「ひろちゃんずーっと泣いてるよ」と話していたのも知ってるし、その後これが原因でイジメられることにもなるのでつらかったです。
また、幼稚園から帰った後父に正座で「なんで泣くんや!」と怒られたことがあり、これは私の人生最初のトラウマとなりました。
今なら結果的に私に悪いように働いただけだと考えることも出来るのですが、「私が悪いのだ」という意識がこの時に出来上がったのです。
圧倒的に楽しくなかったこと
結局のところ、こだわりやものの見方が特徴的な私にとって、定型発達の子どもと過ごす時間はとても楽しくなかったです。
当時はまだ、発達障害であろうとそうでなかろうと、視点の置き方や持って行き方というものを知りません。
つまり、楽しくないことは永遠に楽しくないまま。
だからこそ、園で過ごす「こうしなければ、みんなと同じようにしなければ」というのがとても窮屈でした。
楽しいと思える瞬間もあるにはありましたが、窮屈さと楽しさを天秤にかけた時にしんどさがまさる結果となってしまいました。
理想の園&問題行動が起きた時の対策
「環境を整え、見守る」これに尽きます!
- 発達障害のある子どもに理解のある園を探す
- 子どもの行動が理解出来ない時に、見守る勇気を持つ
発達障害のある子どもに理解のある園を探す
ありがちな回答なのですが、これが一番大切だと感じています。
私は田舎育ちで、園に選択肢もないようなところでしたが都会だと選択肢が沢山あります。
現在は待機児童問題等で中々思うような園探し、とはいかないかもしれないのですが子どもを預ける大切な場所ですので何を大切にしている園なのか、どんな先生がいるのかがとても大切だと思います。
昨今、保育の現場等でのあまり良くないニュースも耳に入ってきますが、使えるものは全部使ってその子の才能を活かせる環境を整えてあげることが最優先事項です。
私は保育園や幼稚園といった場所は好きではありませんでしたが、どの先生も優しくしてくれていたしきちんと顔も覚えています。
その中に、私が変だと決めつけたりするような先生は一人もいませんでした。
だめなことをした時には怒ってくれ、優しい笑顔を向けてくれていました。
私が好きなものには同じように興味を示してくれたり、他の子には内緒の話をしてくれたり、今思うととても良くしてもらっていたと思います。
だから、友達にはさしたる感情はないですが、今でも先生方にはとても感謝しています。
と同時に、悪い事の記憶が定着しやすいタイプの子どもにとっては幼少期のマイナスの記憶が後々までダメージを与える可能性もありますので、要注意です。
子どもの行動が理解出来ない時に、見守る勇気を持つ
私は怒られたことがずっと尾を引いてしまったタイプの人間です。
怒らず見守ってくれたのは、家族の中で祖父だけでした。
当時を振り返り、自分が何をしてほしかったのか考えてみると私が自分で出来ないことがあると気付いてほしかった。
泣いていても見守ってほしかった、責めないでほしかった。
そんな気持ちがこみ上げてきます。
周りの家族はとても苦労していると思います。それでも理解を示せと言うのは酷な話かもしれません。
ただ、せめて家族だけはその子の味方であると行動と態度で示してほしいと個人的には願います。
怒るな、というわけではなくその行動に隠された意味を理解し、伝え方を変えてあげてほしいと思っています。
どんな才能も個性も、家庭を含む全ての環境次第だと私は考えています!
いかがだったでしょうか?
保育園と幼稚園でどう感じていたかについてのお話でした!
私が見ていた世界が、あなたの参考になれば幸いです!